本気じゃないから不倫じゃない?|不倫夫の“都合のいい”理屈
- 2025年07月18日
- 2025年07月18日

「遊びだから」「本気じゃないから」「家庭を壊すつもりはない」──
不倫がバレたとき、こう言い訳する夫は少なくありません。
でも、“本気じゃなければ許される”なんて理屈が通用するなら、不倫は罪にすらならないでしょう。
ではなぜ彼らは、そんな都合のいい言い訳を平然と口にできるのでしょうか?
今回はその心理的背景や責任回避の構造を、10の視点から深掘りしていきます。
■ 1. 「罪悪感」を感じたくない防衛反応
不倫をしている夫が「本気じゃないから不倫じゃない」と言い張る背景には、“罪悪感から自分を守りたい”という強い防衛本能があります。自分の中に芽生える後ろめたさを直視するよりも、「これは浮気じゃない」と認識をすり替えることで、自らの良心を麻痺させようとしているのです。
● 「悪いことをしている」と認めたくない
人は誰しも、自分を“善良な人間”だと思っていたいものです。不倫は明らかに倫理的・社会的に「悪いこと」ですが、そこを正面から認めてしまうと、自己イメージが崩れてしまいます。
そこで彼らは、「これは遊びだから」「妻とはもう冷めてるから」「本気じゃないから」と、“悪質ではない自分”を演出する言葉を使い、罪悪感から逃れようとするのです。
● 自己正当化という心理的防衛機制
この思考は、心理学的に言うと「認知的不協和」の解消行動ともいえます。
“悪いと知りながらやめられない”という矛盾を、「これは悪いことじゃない」という理屈で上書きし、心のバランスを保とうとする。
要するに、自分の行動と良心の食い違いを、都合のいい理屈で“帳尻合わせ”しているだけなのです。
● 罪悪感を感じたくない=反省していない
こうした防衛反応の恐ろしさは、自分の行動を省みる機会を自ら奪っているという点です。
「罪悪感を感じたくない」から都合のいい解釈に逃げ続けることで、裏切られた側の痛みや現実の深刻さに一切向き合おうとしなくなる。
その結果、「不倫じゃない」「大したことじゃない」と言い張りながら、何度でも同じ過ちを繰り返すのです。
■ 2. 「家庭と遊びは別」という勝手な境界線
不倫をする夫がよく口にする言葉のひとつに、
「家庭と遊びは別だろ」
という、“都合のいい線引き”があります。これは、裏切りを裏切りと認めないための自己都合による境界線であり、責任逃れの典型例でもあります。
しかし、それは相手の気持ちや信頼を完全に無視した、自己中心的な理屈でしかありません。
● 家庭=「守るもの」、遊び=「発散の場」という二重構造
この言い分の裏には、家庭は「生活基盤」「責任のある場所」、一方で不倫は「日常のストレスからの逃避」「刺激と快楽の場」として、完全に分離した世界観を持っている心理があります。
まるで“オンとオフ”“仕事とプライベート”を分けるかのように、不倫関係を「家庭に影響を与えない無害なもの」と捉えているのです。
しかし、どんなに本人が線を引こうとも、裏切られた配偶者には関係ありません。
不倫は、家庭の信頼を破壊し、家族の心に深い傷を残す「行為」であり、その“意図”ではないのです。
● 「分けて考えることで罪悪感を回避」している
この勝手な線引きは、前項で述べた「罪悪感を感じたくない」心理とも深く関係しています。
「家庭は大切にしてる」「子どもに優しくしてる」「妻にちゃんと接してる」から、「だから問題ない」という論理で、自分の裏切りを“帳消し”にしようとするのです。
しかし、それは自己満足に過ぎません。
現実には、いくら“家庭を大事にしているつもり”でも、裏切られた側の信頼は戻らず、夫婦関係は確実に壊れていきます。
● 境界線を引いた瞬間に、信頼は失われている
夫がどんな理屈で「家庭と遊びは別」と考えていようと、事実として裏切りは起きているという点からは逃れられません。
それは、夫婦の信頼契約を破ったという一点で、不貞行為として成立しており、法律的にも慰謝料請求の対象になります。
“心の線引き”は、裏切られた側にとって何の意味もありません。
むしろその言い分こそが、傷つけられた側をさらに深く絶望させているのです。
■ 3. “本気”かどうかの判断基準を自分にしかないと思っている
「これは本気じゃないから不倫じゃない」──
そんな理屈を口にする夫の心理には、「本気かどうかを判断するのは自分だ」という身勝手な論理が潜んでいます。しかし、どんなに本人が“本気じゃない”と思い込んでいても、それは裏切られた側の傷を軽くする理由にはなりません。
● 「気持ちの有無」で罪の重さを軽く見積もる危険
不倫をしている側の多くは、「心が動いたわけじゃない」「ただの遊びだった」といった言い訳で、自分の行動を軽く済ませようとします。
しかし、**問題なのは“気持ち”ではなく“行動”**です。
配偶者を裏切って他人と肉体的・精神的関係を持った時点で、それは法律上の「不貞行為」に該当します。
気持ちがあるかどうかで、責任の有無が決まるわけではありません。
● “本気じゃない”は、あくまで自分の都合
「本気じゃない」と言い切ることで、罪悪感を回避し、自分の行動を正当化しようとする心理が見え隠れします。
つまりそれは、“本気じゃないことにしたい”というだけの話。
裏を返せば、「本気じゃないからセーフ」と思っている時点で、不倫の事実を自分でも良くないことだと分かっている証拠でもあります。
● 相手や家族の気持ちは“判断基準”にすら入っていない
「これは本気じゃない」と口にする人の多くは、配偶者、家庭、そして関係する全ての人の気持ちを判断材料に含めていません。
そこにあるのは、「自分がどう思っているか」だけ。まさに自己中心的な解釈の押しつけです。
その結果、裏切られた配偶者にとっては、“気持ちがあるかどうか”ではなく、“行動の事実”が何よりの裏切りとなり、信頼関係は壊されていくのです。
■ 4. 「男は浮気するもの」という歪んだ価値観
「男はそういう生き物だから」「浮気くらいでガタガタ言うな」──
このような言葉で自らの不倫を正当化する男性は少なくありません。しかし、これは事実でもなければ免罪符でもない、ただの“古びた思い込み”にすぎません。
こうした歪んだ価値観が、不倫という明確な裏切り行為を「仕方ないこと」として許容させてしまう温床になっているのです。
● 「男だから仕方ない」は“加害者側の逃げ道”
「男は浮気するもの」という主張の裏には、「自分の行動は本能だから許される」という開き直りがあります。
しかし、浮気や不倫は理性と選択の結果であって、衝動的な本能だけで説明できるものではありません。
この言葉を使う人ほど、自分の責任を回避するために“性別”を盾にしているだけであり、それは加害者の論理でしかありません。
● 性別ではなく“人間性”の問題
不倫をするかどうかは「男か女か」ではなく、その人がどれだけ自分の行動に責任を持てるかという人間性の問題です。
「男は浮気する生き物」という決めつけは、誠実に家庭を守る多くの男性に対しても失礼であり、偏見でもあります。
「みんなやってる」といった一般化によって、自分の裏切りを薄めようとする態度は、自らの非を直視したくない心理の現れです。
● 過去の価値観に縛られた“古い常識”の危険
昭和的な価値観や、男尊女卑的な発想から来る「男は浮気して当たり前」という風潮は、現代では通用しません。
むしろそれを口にすることで、社会的信用を失い、職場や家庭でも「時代錯誤の人」と見なされるリスクがあります。
時代は変わっているのに、自分だけ古い価値観にすがっていることに気づかないのは、あまりにも危うい状態です。
■ 5. 感情の整理を避けたい“未熟さ”
不倫に及ぶ男性の中には、「自分の気持ちがどうなのか」「家庭と不倫相手、どちらに本音があるのか」といった感情の整理を避ける人が少なくありません。
曖昧な態度を取り続け、どちらにも中途半端な顔をしながら、自分の責任と向き合わずに済むポジションに逃げ込もうとする。その背景には、**感情を直視することから逃げる“未熟さ”**が潜んでいます。
● 「決めないことで責任を取らずに済む」と思っている
不倫関係が長引く中で、「どちらかを選ばない」という選択をする人は、結局のところ自分の責任から逃げているだけです。
選ばないということは、誰かに傷つく役を押しつけているということにほかなりません。
曖昧さを保っていれば、表面上は関係を続けられるかもしれませんが、それはあくまで“逃げ”であり、誠実さとは真逆の姿勢です。
● 「感情を見つめる」ことへの恐れ
自分が何を望んでいるのか、誰を本当に大切にしたいのか――
そういった感情に正面から向き合うことは、時に痛みや罪悪感を伴います。だからこそ、多くの不倫加害者はそこを避け、「なんとなくの関係」を続けてしまうのです。
しかし、感情の整理を放棄したままでは、誰も幸せになれない結末が待っています。
● “都合のいい現在”を守るための逃避
家庭でも不倫相手の前でも、それなりの顔をしていれば今は波風が立たない――
そうやって現実逃避をしながら、「決断を先送り」にし続ける姿勢は、精神的な未熟さの表れです。
問題を棚上げにした結果、最も大きな代償を払うのは、逃げ続けた本人であることを忘れてはいけません。
■ 6. バレた時の「言い訳用」に本気じゃないと予防線を張る
「本気じゃなかったから」「遊びだったから」――
これは、不倫が露見した際に責任を逃れるための“常套句”です。
最初から「本気ではない」と決めつけて関係を始めている時点で、すでにバレた時のリスクを想定している=悪いことだと自覚している証拠とも言えます。
つまり、この“予防線”は、あらかじめ自己保身のために張られた非常に狡猾な手段なのです。
● 「本気じゃない」は免罪符にならない
本気でなければ不倫してもいい――そんな理屈が通用するわけがありません。
婚姻関係を持つ身で、他の異性と関係を持つことは明確な裏切りであり、法的にも不法行為。
たとえ一夜限りの関係であっても、配偶者にとっては重大な傷。
「本気じゃないから大丈夫」というのは、加害者の一方的な都合にすぎません。
● 保身のための“感情の切り離し”
「好きだけど家庭を壊す気はない」
「気持ちは入れてないから大丈夫」
こうしたセリフは、罪悪感を軽減させるための“感情と行動の切り離し”であり、責任から距離を置くための心理的トリックです。
しかし、人の気持ちをもてあそんだり、妻を傷つけたりした事実は消えません。
● 不倫相手にとっては「逃げ道」にならない
既婚者が「これは本気じゃない」と言っていたとしても、不倫相手が感情を抱いていれば話は別。
相手の思いを知りながら関係を続けていたなら、後にトラブル化し、慰謝料請求されるリスクも十分にある。
この“予防線”は、自分を守るためのものであって、他人を守る意志はまったく含まれていないのです。
■ 7. 「家庭を壊す気はなかった」と言えば免責されると思っている
不倫が発覚したときに、加害者側がよく口にするのがこの一言――
「家庭を壊すつもりなんてなかった」
しかし、それは自分の行動を軽く見せようとする都合のいい“言い訳”にすぎません。
家庭を壊すか壊さないかは“結果”の問題であり、意図がなかったからといって責任が消えるわけではないのです。
● 「壊す気がなかった」では済まされない
たとえ本人に「離婚するつもりはなかった」「妻や子どもを捨てる気はなかった」という気持ちがあっても、不倫という行動そのものが家庭に深刻なダメージを与えています。
不信感、精神的苦痛、家族間の信頼の崩壊――そのすべては行動の結果であり、「壊す気はなかった」は加害者側の一方的な視点です。
● 不倫の時点で“家庭はすでに壊れている”
誰にもバレていないうちは「家庭は守れている」と錯覚しがちですが、不倫の時点ですでに裏切りは始まっているのです。
「家庭を壊すつもりはない」という言葉は、裏でこっそり火をつけておいて「火事にするつもりはなかった」と弁解するようなもの。
意図の有無ではなく、行為自体が問題なのだという自覚が欠けています。
● 法的責任は“気持ち”ではなく“事実”で問われる
民法上の不法行為(民法709条)は、「損害を与えた事実」と「過失や故意」があれば成立します。
つまり、「壊す気がなかった」「悪気はなかった」という主張は、法的にはまったく意味を持たない。
被害者側が精神的損害を受けていれば、それはれっきとした慰謝料請求の対象です。
● 被害者の心に火をつけたのは誰か
「家庭を壊すつもりはなかった」という言葉は、裏を返せば「相手が勝手に傷ついた」と言っているようなもの。
しかし、パートナーに嘘をつき、別の異性と関係を持ったという裏切りの火種をまいたのは加害者自身です。
責任を“相手の受け取り方”に押し付けるのではなく、自分の行動がもたらした結果を直視するべきです。
■ 8. 妻の感情を軽視している
不倫をする夫の多くは、自分の行動がどれほど妻の心を傷つけるかを理解していません。
それは「無関心」なのではなく、「軽視」――つまり、“わかろうとすらしていない姿勢”の問題です。
「どうせ泣いて終わるだろう」「文句を言いながらも許してくれる」といった認識は、妻を1人の人間として見ていない証拠です。
● 「感情」を“扱いづらいもの”として無視する
多くの夫は、妻の感情を“面倒なもの”として遠ざけます。
怒り、悲しみ、失望といった負の感情に正面から向き合うことなく、「そんなに怒ること?」「感情的になるなよ」と遮断しようとする。
これは感情に向き合う力が未熟であることの表れであり、配偶者の人格を軽んじているとも言えます。
● 「黙っていれば許される」という甘え
不倫が発覚したあとも、「謝って済むなら安い」「今だけ謝ればそのうち収まる」といった楽観的な態度を取る人も少なくありません。
これは「妻は黙っていれば、いつかは自分を許す」という根拠のない甘えと、「妻の気持ちなんて大した問題じゃない」という無意識の見下しに基づいています。
● “泣かせたこと”ではなく、“泣いた理由”を見ない
涙を見て「泣かせてしまったこと」を反省する人はいても、「なぜ涙が出るほど深く傷ついたのか」に目を向ける夫は少数です。
本来、向き合うべきは、泣いたという“現象”ではなく、その背景にある“痛み”や“裏切られた想い”です。
それを理解せずに表面的な謝罪だけで済ませることは、さらに妻の心を踏みにじる行為に他なりません。
● 「気づかないふり」をしていた代償
中には、「妻が気づいていないと思っていた」と本気で言う夫もいます。
しかしそれは“気づいていない”のではなく、“気づいていても傷つくのが怖くて口にできなかった”だけの話です。
「言ってこなかった=感情がない」と思い込むこと自体が、すでに暴力的なのです。
● 「感情の価値」を理解できない人間性の問題
妻の怒りや悲しみを「ヒステリー」と片づける男性に多いのは、「感情は理屈より劣るもの」「感情的になるのは未熟な証拠」といった歪んだ価値観です。
しかし、人間関係において最も深い溝を生むのは、感情の軽視・無視・抑圧です。
パートナーの感情を理解しようとしない姿勢は、人としての誠実さを欠いていると言わざるを得ません。
■ 9. “不倫=身体だけ”という古い発想
「心までは奪っていない」「本気じゃない。ただの遊び」──
そんな言い訳で不倫を正当化しようとする人がいまだにいます。
しかし、不倫とは“身体の関係”だけにとどまらない深刻な裏切り行為であり、古い価値観のままで生きている限り、その重大さに気づけないまま、誰かを深く傷つけ続けることになります。
● 「本気じゃない=罪が軽い」わけではない
身体だけの関係だったとしても、それが配偶者の知らぬ間に行われた“裏切り”である以上、その信頼を踏みにじった事実は消えません。
不倫の本質は、「何をしたか」ではなく「何を隠していたか」「何を裏切ったか」にあります。
つまり、「本気じゃないから」「感情がなかったから」という主張は、加害者の一方的な都合に過ぎません。
● 肉体関係だけなら問題ない、という感覚の危うさ
「風俗ならOK」「一度きりならセーフ」といった感覚を持つ人もいますが、それは倫理観が崩壊した自己中心的な価値判断です。
配偶者にとっては、身体の関係であろうが精神的なつながりであろうが、「裏切り」は等しく傷になります。
問題なのは、“自分にとってどうか”ではなく、“相手がどう受け止めるか”です。
● 心のつながりがなければ傷つかないという勘違い
中には「愛しているのは妻だけだから、不倫じゃない」という人もいますが、不貞行為そのものが婚姻関係における重大な違反であることを忘れてはいけません。
法律上も「肉体関係の有無」が重要な争点になるのは事実ですが、同時にその行為が「どれほど信頼関係を破壊したか」が慰謝料請求などに大きく影響します。
● 被害者にとっては“身体”よりも“心”が問題
実際に不倫された配偶者の多くは、こう口にします。
「身体の関係があったことより、私の知らないところで笑い合い、心を通わせていたことの方が辛い」
つまり、被害者の感情は、加害者が決めつけるものではないのです。
自分の中で「軽い」と決めたからといって、それが許されるわけではありません。
● 昭和的な“男の遊び”という価値観の終焉
「男はそういう生き物」「外に女がいても、帰ってくる家があれば問題ない」──
そんな価値観はもう通用しません。
現代は、誠実さや対等な信頼関係がパートナーシップの基本とされる時代です。
過去の常識にすがり続けることは、自らの人間性と信頼を崩壊させる行為に他なりません。
● 本質をすり替えることで“自分を守っている”だけ
「身体だけ」と言い張ることで、自分を加害者ではなく“ちょっとした過ちを犯しただけの人”として正当化しようとする人もいます。
しかしそれは、被害者の痛みに向き合いたくない自己保身の表れです。
関係の深さではなく、“裏切った事実”に向き合う覚悟がない限り、真の反省には至りません。
■ 10. 結局は「責任を取りたくない」だけ
不倫を正当化する人たちが並べる言い訳の数々──
「本気じゃない」「遊びだった」「家庭は壊さないつもりだった」…
そのどれもが、実はたったひとつの本音に集約されます。
「自分のやったことに、きちんと責任を取りたくない」という、それだけの話です。
● 罪悪感から逃れたい“自己保身”
不倫の加害者は、責められる立場になると必ず「そんなつもりはなかった」と弁解します。
けれど、“つもり”の問題ではありません。
誰かを傷つける行為をしておいて、「悪気はなかった」で済ませようとするのは、責任回避の典型的な態度です。
相手の痛みよりも、自分の居心地を守りたいだけなのです。
● 「関係を終わらせたからもうチャラ」は通用しない
不倫をやめたから、すべてがなかったことになると信じている人もいますが、それは過去の裏切りの事実から逃げているだけ。
加害者側は「終わった」と言えば一区切りかもしれませんが、被害者側の心には、まだ怒りと苦しみが残り続けているのです。
不倫の代償は「終わらせた時点」でリセットされるものではありません。
● 家庭も不倫相手も“キープしたい”という欲張りさ
既婚者でありながら、外に関係を持ち続ける人の多くは、どちらも失いたくないという身勝手な欲望を抱えています。
でも、二兎を追ったその先で何が起きるかといえば、「誰からも信頼を失う」という当然の結末です。
にもかかわらず、自分の欲を満たすことばかり考え、責任という言葉からは常に距離を置こうとする──
それが“不倫という逃げ”を選ぶ人の本質です。
● 「謝ったからもういいでしょ」という開き直り
問題が表面化すると、軽く頭を下げたり、LINEで一言「ごめん」と送ることで済まそうとする人がいます。
けれど、謝罪は責任を取ったことにはなりません。
責任とは、「自分の行動によって起きたすべての結果を受け止めること」です。
それには、被害者の心の痛みに寄り添い、信頼を取り戻すために誠実に向き合い続ける覚悟が必要です。
● 法的責任の現実からも逃げようとする
「バレなければいい」「慰謝料は払わなくて済むだろう」とタカをくくる人もいますが、
現実には、不貞行為には法的責任が伴います。
浮気相手にも、配偶者からの慰謝料請求が可能です。
つまり、“遊び”では済まされないのが、婚姻制度の下での現実です。
それすら直視せず、「なんとなく逃げきれるだろう」と考えている時点で、責任感の欠如は明白です。
● 結局は、「誠実になる覚悟」がないだけ
不倫をする人が本当に逃げているのは、家庭でも恋人でもなく、自分自身の未熟さと向き合うことです。
すべてを手に入れたい、でも何ひとつ手放したくない。
それはただのワガママであり、大人としての責任から逃げ回る幼稚な姿に過ぎません。
■ まとめ:「本気じゃない」は、言った者勝ちの逃げ言葉
本気かどうかは、加害者が決めることではありません。
不倫とは、たとえ気持ちがあろうとなかろうと、裏切りという行為そのものが重大な問題です。
「本気じゃないから不倫じゃない」と言えるのは、相手の痛みを想像できない人間の言い訳に過ぎないのです。