子どもを捨てて不倫相手の元へ家出する母親の心理について

「ママ、どうして僕を置いて行ったの?」——子どもを捨てて不倫相手の元へ家出した母親の心の闇

  • 2025年07月02日
  • 2025年07月02日

子どもを置き去りにし、家出してまで浮気相手の元へ――

そんな行動をする母親がいたら、誰もが口を揃えて言うでしょう。
「信じられない」「母親失格だ」と。

確かに、一般的な価値観からすれば、母親が子どもを捨てるような行動はあまりに身勝手で、理解しがたいものです。
しかしそこには、表面では見えない深層心理や未解決の感情が隠れていることもあります。

以下では、「なぜそんな行動ができるのか?」という疑問に対し、心理的背景から紐解いていきます。

■ 1. 現実逃避としての「恋愛依存」

子どもを置いて家を出ていく——
その行動の背景には、一般的な「母性の放棄」や「無責任さ」では片づけられない、深い心の傷や歪んだ依存心理が存在することがあります。

特に、「恋愛」という行為が、現実からの逃避手段になっているケースは少なくありません。

● 苦しさから逃げた先に「恋愛」があった

家庭内での孤立感、夫からの冷たい態度、子育ての重圧、自己否定感——
それらに押しつぶされそうになったとき、「誰かに必要とされる感覚」だけが自分をつなぎとめてくれると感じてしまうのです。

恋愛は、非日常であり、一時的な快楽であり、自分が“女性として扱われている”と実感できる場所。
だからこそ、その感情にのめり込み、現実を見なくなってしまうのです。

● 恋愛依存は「心の痛み止め」

本来なら、恋愛とは人生の一部にすぎないもの。
しかし、恋愛依存に陥った人は、恋愛がないと“自分が空っぽになる”と感じるほどに、そこにすがってしまいます。

これはまるで、強いストレスに対して「麻酔」をかけているような状態。
現実(=子ども、家庭、責任)から目をそらし、「愛されている私」だけに没頭することで、心の痛みをごまかしているのです。

● 「自分を大切にする」感覚の欠如

恋愛に逃げる人は、実は自分自身を大切に扱っていません。
自分の人生を、相手次第でしか感じられず、
「愛されている」ことが「価値のある私」と直結してしまっています。

この構造の中では、母親という役割も、子どもとの関係も「重荷」に感じてしまい、
その重圧から逃れる手段として、恋愛(そして相手の元に転がり込む)という行動を選んでしまうのです。

● 本当に必要なのは、誰かに愛されることではなく…

問題は「浮気をしたこと」や「家出したこと」だけではなく、
なぜそのような選択をするしかなかったのかという背景にあります。

恋愛で埋めようとしているその“心の穴”は、
本当は自分自身と向き合い、癒し、立て直すことでしか満たせないもの。

逃げれば逃げるほど、依存は深まり、現実とのギャップは広がっていきます。
そして一番の犠牲者は、残された子どもです。

■ 2. 育った環境と母親像のゆがみ

「母親なのに、なぜ子どもを置いて出ていけるのか?」
そんな疑問が浮かぶのは当然です。しかし、その背景には、本人が「母親とはこうあるべき」という健全なモデルを持っていなかった可能性があります。

● 「愛された実感がないまま大人になった女性たち」

家庭環境に問題を抱えたまま育った人の中には、

・親から感情的に無視されてきた
・親の顔色ばかりうかがって育った
・“いい子”でいないと愛されなかった

という経験をしているケースが少なくありません。

その結果、自分の価値は「誰かに認められている時」だけに感じられるようになり、
無意識のうちに「愛される=存在意義」という価値観が刷り込まれていきます。

● 歪んだ“母親像”が、自分を追い詰める

また、母親としての役割を「こうでなければならない」と過剰に背負い込んでしまい、
「いい母でいなければ」「ちゃんと育てなければ」というプレッシャーに押し潰されていく人もいます。

しかし、心のどこかではこう感じている——

「私は母親としての自信がない」
「自分の母親のようにはなりたくない」
「でも、どうすればいいのかわからない」

このような混乱が、心の中に“空洞”を生み出します。
そしてその空洞を埋めようとして、恋愛や他人の愛情に過剰に依存してしまうのです。

● 「母である前に、自分自身を確立できていない」

本来、母親としての役割を果たすには、まず自分が“自立した個人”であることが土台になります。
しかし、自尊心が育っていない、感情のコントロール方法を知らない、愛された経験が乏しい——
そんな土台のまま親になると、“母親という役割”を演じること自体が苦しくなるのです。

その結果、「母であること」よりも、「誰かに必要とされる女でいたい」という思考にすり替わり、
子どもよりも恋愛を優先してしまうという行動に至るケースもあります。

● 子どもを“重荷”と感じてしまう危うさ

健全な愛着が育っていないと、子どもに対しても「愛情」より「責任」ばかりが重くのしかかります。

・ちゃんと育てなければ
・しつけをしなければ
・他人に迷惑をかけてはいけない

そんな義務感にばかり追われて、「一緒にいても苦しい」「自分を犠牲にしている」という思いが膨らみます。
そして、そこから逃げるように恋愛に走り、「母親であること」そのものを放棄してしまうのです。

■ 4. 「母親としての自分」より「女としての自分」が勝ってしまう

母親である以上、子どもを最優先にすべき。
頭ではわかっていても、現実には「女としての自分」が勝ってしまう人がいます。
母であることよりも、「ひとりの女性として愛されたい」「自分を求めてほしい」という思いが、理性を上回ってしまうのです。

それは単なる自己中心ではなく、積もり積もった“満たされなさ”の暴発であることも少なくありません。

● 母である前に、ひとりの“女”としての渇望

家庭では、母親という役割を期待され、
「子どものために」「家族のために」尽くすことが当然とされる。
しかし、その裏で、ひとりの人間として、誰かに「綺麗だね」「必要だよ」「あなたがいてくれてよかった」と言ってもらいたい。

そんな思いが押し込められたまま蓄積すると、ある日、感情が大きく揺さぶられる出会いが訪れたとき、
「母」としての自分を置き去りにしてでも、そちらに飛び込んでしまうことがあるのです。

● 「女として扱われたい」という欲求の正体

浮気相手が見せる優しさや言葉に惹かれるのは、
その人自身を深く愛しているからというよりも、“自分が女として認められている”という感覚が欲しいから。

育児や夫婦関係の中で誰からも褒められず、感謝されず、

「自分は誰にも必要とされていない」
「女性としての私はもう終わった」

そんな虚無感が心を支配していたところに、
たった一言の優しさが、心のブレーキを壊してしまう。

その結果、「母親としての責任感」よりも、「女として生きたい」という欲望が勝ってしまうのです。

● 「母親なのに」と責める前に、背景を見てほしい

もちろん、子どもを置いて恋愛に走る行為は正当化できません。
子どもの心に深い傷を残す行動でもあります。
しかし、その背景には、何年も積み重ねてきた孤独、自己否定、役割疲れがあるのかもしれません。

家庭の中で「誰にも必要とされていない」と感じていた人が、
“恋愛”の中でようやく「自分は生きていていい」と思えた——
それは、人としての限界点に達していた証でもあります。

● 「母」と「女」は、どちらか一方では生きられない

人は「母親」である前に、まず「人間」です。
無理に「母」であることを最優先にし続ければ、
その裏で「女」としての心が死んでいく。

本来はその両方のバランスを保ちながら生きていくべきですが、
極端に傾いた環境では、「女性としての承認欲求」に感情が支配されるリスクが高まります。

● 傷つくのは、残された子どもと家族

しかし、どれだけ“女”としての人生を取り戻したかったとしても、
代償を払わされるのは、何も悪くない子どもたち。
母親の突然の家出や離反は、彼らにとって「見捨てられた」という強烈な体験となり、
自己肯定感や信頼感を大きく損ないます。

一瞬の恋に心を奪われた代償として、家族という土台が崩れていく。
その現実を、決して忘れてはいけません。

■ 5. 子どもへの愛情がないわけではない

「母親なのに、どうして子どもを置いて出て行けるの?」
「母親としての愛情があれば、そんなことできるはずがない」

——そんな疑問や怒りの声が、周囲や家族から聞こえてくることがあります。

しかし実際のところ、不倫に走った母親が子どもを愛していないわけではありません。
むしろ多くの場合、心の中には子どもへの罪悪感や矛盾した感情が渦巻いているのです。

● 子どもへの「愛」と、自分の「限界」は別問題

母親である前に、人はひとりの人間です。
心が限界まで疲弊しているとき、どれだけ子どもが大切でも「もうこれ以上耐えられない」という気持ちが勝ってしまうことがあります。

たとえば——

・育児も家事もワンオペで、感謝されることすらない
・夫との関係は冷え切っていて、誰にも気持ちを吐き出せない
・自分が「女性」であることを完全に否定され続けている

そんな状況の中で、子どもにだけは優しく接しようとする。
でもそれすらできなくなったとき、母親は自分が「壊れていく」のを感じます。

そのとき、「愛しているからこそ、壊れる前にここを離れたい」
——そんな矛盾した選択をしてしまうことがあるのです。

● 「子どもに申し訳ない」という思いが、逆に歪みを生む

子どもを置いて家を出た母親が、後に語る言葉にはこんなものがあります。

「今はそばにいられないけど、ずっと愛してる」
「私がここにいたら、かえって子どもを傷つけると思った」
「あのときの私は、もう心が壊れかけていた」

それは言い訳にも聞こえるかもしれません。
でも、「母親であることに追いつめられていた心」が生み出した苦しい選択でもあるのです。

● 愛しているから、傷つけないとは限らない

ここで大切なのは、「愛がある=正しい行動をとる」とは限らないということ。
不倫という行為が、どれだけ子どもを傷つけるかを理解していても、
心が弱っているときは、その「理解」と「行動」が一致しません。

本当は、子どもを抱きしめて守ってあげたい。
でも、自分の心の余裕がゼロになったとき、人は最も守るべきものからも逃げてしまうのです。

● 残された子どもが感じる「愛されなかった」という誤解

一方で、置いていかれた子どもは、

「自分がいらなかったから出ていったんだ」
「愛されてなかったから、他の人を選んだんだ」

と、自分の存在価値を疑ってしまうことがあります。

けれど、それは真実とは限りません。
母親の行動は間違っていたかもしれませんが、
そこに「愛がなかった」と決めつけることは、子ども自身をさらに傷つけてしまいます。

● 大切なのは、「なぜそんな行動をとったのか」に目を向けること

不倫に走った母親を肯定することはできません。
でも、彼女たちの中にも確かに「母としての愛」はあった。
ただ、それ以上に「心の限界」や「自分を満たしたい欲求」が勝ってしまった。

行動の善悪と、心の奥にある愛情は、必ずしも一致するとは限らないのです。

■ 6. 「母親失格」というレッテルへの恐れと逃避

不倫や家出という行動をとった母親たちは、多くの場合、「母親失格」と見なされることへの強い恐れを抱えています。
そしてその恐れから、現実と向き合うことを避け、ますます逃げ道に依存していく——それが、負のスパイラルの始まりです。

● 「母親である私が、こんなことをしてしまった…」

母親である自分が、不倫という“禁じられた行為”をしてしまった。
子どもを置いて家を出た。
その事実を自分で理解していても、あまりに罪深く思えるがゆえに、「私はもう母親として終わった」という思い込みが生まれてしまいます。

この時点で、彼女たちは自己否定の泥沼に落ちています。

● 「もう戻れない」と感じるほど、逃げ道にしがみつく

「こんな自分は、母親として失格だ」
「子どもに顔向けできない」
「夫や親に責められるくらいなら、このまま逃げていたい」

そんな思いが強くなると、“逃げた先”が自分の唯一の居場所になってしまうのです。
それがたとえ、不倫相手の元であっても、自分を責めずに受け入れてくれる場所に感じられる。
結果的に、不倫関係を断ち切ることがますます難しくなるのです。

● 「母親失格」と言われる前に、自分から関係を切ってしまう

また中には、

「どうせ責められるなら、先に自分から家族を捨てよう」
「批判される前に、自分から母親であることをやめてしまおう」

というような、被害を予防するための攻撃的防衛反応をとる人もいます。

本心では、責められたくない・嫌われたくない。
でも、責められる恐怖があまりに大きいからこそ、先に逃げるという選択をするのです。

● 本当に怖いのは「責められること」ではなく「許されないこと」

彼女たちが最も恐れているのは、「周囲からの非難」ではありません。
自分自身を二度と許せなくなることへの恐れなのです。

「どれだけ謝っても、自分は母親としてやり直せない」
「子どもから、もう愛されることはない」

そう思い込んでしまうと、再び戻る勇気も、謝るエネルギーも奪われてしまいます。

● 「母親であることを諦めた自分」への罪悪感が、さらに心を閉ざす

母でありながら母親であることを投げ出した——
その自覚は、心の奥底にずっと残っています。

不倫相手との関係がうまくいかなくなっても、
家庭に戻ることもできず、
ただ「どうしてこんなことに…」と、虚しさだけが残ってしまう。

そうして、自分自身を罰し続けるように、不毛な関係にしがみついてしまうのです。

■ 7. 自己肯定感の欠如と満たされない穴

なぜ、子どもを置いてまで、家庭を離れ、不倫相手のもとへ走るのか?
そこには、「自分は愛される価値がある」と信じることができない深い自己否定感が根底にあることがあります。

● 愛されたい、認められたい。でも、自分を信じられない

自己肯定感とは、「ありのままの自分を受け入れられる力」です。
しかし、幼少期から否定された経験が多かった人や、他者と自分を比較する習慣が染みついている人は、
心の奥底でこう感じています。

「私は価値のない人間だ」
「誰かに必要とされていないと、私は存在してはいけない」
「こんな私を本当に好きになってくれる人なんていない」

こうした感情の根っこにあるのは、「自分は不完全な存在だ」という深い思い込み。
それを埋めるために、人は外側からの愛情や承認を求めてしまうのです。

● 恋愛でしか“自分の存在”を確かめられない

「愛されている」と感じられることで、
やっと自分に価値があるように思える——
そうした心理構造の中では、恋愛やスキンシップはただの関係ではなく、
“自分の存在証明”になってしまいます。

だからこそ、その相手がどんなに不誠実でも、どれだけ都合のいい扱いを受けても、
「離れたら、自分は何者でもなくなる」
という恐怖に縛られてしまうのです。

● “誰かの愛”に頼らなければ、自分を支えられない心

本来、他者の愛情は、自分自身の土台があってこそ、心を温めてくれるものです。
でもその土台——つまり自己肯定感——がスカスカな状態だと、
恋愛や相手の言葉に依存し、そこにしか自分の価値を見出せなくなります。

そして、こうした心理状態は、相手が優しくしてくれた“あの瞬間”の記憶に執着させ、
現実の冷たい扱いすら見えなくさせてしまうのです。

● 満たされない“穴”は、他人では埋められない

不倫相手から一時的に愛されているように感じたとしても、
根本にある「自分の価値を信じられない心」が変わらない限り、
その幸福感は一瞬で終わります。

そして、また次の誰かに求めてしまう——
この繰り返しが、「自己肯定感の欠如」という、終わりのないトンネルを生み出すのです。

だからこそ本当に必要なのは、誰かに「愛してもらうこと」ではなく、
自分が「自分を大切にする感覚」を取り戻すことです。

■ 8. 「愛されていない」苦しみを他者に転化している

不倫や家出に走る母親たちの多くは、心のどこかで「自分は愛されていない」と感じて生きています。
夫からの愛情を感じられない、家族に大切にされていない、社会から孤立しているような感覚。
その孤独と虚しさが心を蝕み、やがてその“痛み”を抱えきれなくなると、他者にその苦しみを転化する行動へと繋がってしまうことがあります。

● 自分の痛みを見せず、「誰かを傷つける」ことでバランスを取ろうとする

本来なら、愛されたい、認められたいという気持ちは、素直に表現できれば健全な欲求です。
しかし、長年その気持ちが無視され続けたり、軽視されたりしていると、
やがて「どうせ私なんて」と自己否定に変わり、“愛されない苦しみ”が怒りや攻撃性にすり替わっていくのです。

子どもに対して無関心になったり
配偶者に対して冷たくなったり
「誰かに傷ついてほしい」と無意識に願ったり

これは、自分が受けた痛みを、誰かにも感じてほしいという心の叫びとも言えます。

● 不倫相手に「傷ついた自分を癒してもらう」期待を寄せる

「私は夫に愛されなかった。でもこの人なら、私の価値を認めてくれるかもしれない」
そんな期待を不倫相手に抱いてしまうのは、「愛されない痛み」があまりに深く、その代わりを誰かにしてもらわずにはいられない状態にあるからです。

しかし、この関係も多くは一時的な安心しか与えてくれません。
期待が裏切られた時、「また私は見捨てられるのか」「やっぱり私は価値がない」という思いが再燃し、
今度はその不倫相手や、元の家族に対して、より強い怒りや失望をぶつけてしまうこともあるのです。

● 子どもにすら「愛されない不安」を投影してしまう

ときに、その“痛みの転化”は最も身近な存在である子どもに向かうこともあります。

子どもが懐いてこないと「やっぱり私は愛されてない」と思ってしまう
子どもが夫の味方をすると「見放された」と感じてしまう
子どもを置いて家を出たのに、罪悪感ではなく「子どもからの裏切り」のように感じる

こうして、自分の心の傷を子どもに映し、さらに関係をこじらせてしまうのです。
本来であれば守るべき存在に対してさえ、苦しみが投影されてしまう――その現実は、とても悲しく、そして危うい状態です。

● 「誰かのせいにしないと耐えられない」という心の限界

「夫が冷たかったから」「家族が理解してくれなかったから」
たしかに、そうした環境がきっかけで心が追い詰められることもあります。
でも、本当の苦しみの根は、“誰にもわかってもらえない”という孤独感です。

そして、その孤独に真正面から向き合うのは、とても怖いこと。
だからこそ、人は無意識に「誰かのせい」にして、その痛みを外に押し付けようとするのです。
それが、不倫や家出というかたちで「自分の人生を変えようとする行動」として現れることもあるのです。

■ 9. 「子どもは大丈夫」と思い込む心理的防衛

一見すると、到底理解しがたい行動に見えるかもしれません。
しかし、当事者の多くは決して「子どもを見捨てた」と自覚しているわけではなく、
むしろ自分の中で**「子どもは大丈夫」**と、信じ込もうとしているケースが多く見られます。

それは、罪悪感に押し潰されないための、**“心の防衛機制”**なのです。

● 本当はわかっている。「子どもに傷を負わせている」こと

母親であれば、どこかでわかっているのです。
自分が家を出たこと、子どもにとっては大きな喪失であること。
それが子どもの心に傷を残す可能性があることも。

でも、その現実を直視することは、自分自身を強く責めることにつながります。
「私は母親失格だ」「取り返しのつかないことをしてしまった」
そう思ってしまうと、立ち直ることも、前に進むこともできなくなる。

だからこそ――

「子どもは意外としっかりしてる」
「私がいなくても育つ」
「夫や実家がいるから大丈夫」

そんなふうに“安心材料”を並べて、自分を守ろうとするのです。

● 「自分を否定しないため」に現実を歪める

心理学ではこのような働きを認知的不協和の解消と呼びます。
つまり、「自分は母親なのに子どもを置いてきた」という行動と、
「私は悪くない、仕方がなかった」という自分への評価との矛盾を埋めるために、
思考を都合よく調整してしまうのです。

「今は一時的なこと」
「子どもは何もわかっていない」
「あとで説明すれば理解してくれるはず」

こうして、“大丈夫”という前提を強引に作ることで、罪悪感に蓋をしているのです。

● 子どもに対する愛情は「ある」――だからこそ、見ない

ここで誤解してはいけないのは、
こうした母親が「子どもを愛していない」というわけではないということです。
むしろ、心のどこかでは強い愛情があるからこそ、直視できないのです。

「連絡を取りたくてもできない」
「写真を見ては胸が痛む」
「子どもと再会した夢を見て、涙が出る」

そんな心の揺れを抱えながらも、現実を直視すれば崩れてしまう自分を守るために、あえて「大丈夫」と思い込む。
それは、母としての心の弱さであり、同時に人間らしさでもあります。

● 「子どもは何も言わない」=大丈夫、ではない

沈黙しているから、大丈夫。
泣いていないから、平気。
笑っているから、もう忘れている。

でも、本当にそうでしょうか?

子どもは、ときに「親を悲しませたくない」という気持ちから、自分の本音を押し殺してしまうことがあります。
「お母さんがいなくなった理由は、きっと私のせいじゃない」
「でも…戻ってきてほしい」
そんな複雑な感情を抱えながら、日々を過ごしている子どもも少なくありません。

■ 10. 家庭=「自分を苦しめる場所」になっている

母親が子どもを置いて家を出る——
この衝撃的な行動の背景には、**「家庭が安心できる場所ではなくなっている」**という深刻な現実が潜んでいることがあります。

本来なら、家は心を休める場所であり、帰る場所であり、家族と共に温かさを分かち合う場所のはずです。
しかし、当事者の女性にとってその「家庭」が、自分を押し潰すような場所になってしまっている場合、
「逃げたい」「消えてしまいたい」という思いが強くなっていくのです。

● 「母親」であることに押しつぶされていく

・毎日、終わらない家事
・育児に休みはなく、24時間気の抜けない生活
・夫の無関心や冷たい態度
・「母親なら当然」と求められる無償の献身

そんな日々の中で、「私はロボットじゃない」「私にも感情がある」と心が叫んでも、誰にも届かない。
家の中では常に「与える側」であり、「求めること」も「甘えること」も許されない。

次第に、**「この家にいると自分が壊れてしまう」**という感覚が生まれてきます。

● 感情を殺して「母親役」を演じ続ける疲労

自分の本音を封じ込め、「母親らしく」ふるまう。
「いい母であろう」と努力し続ける。
けれど、その努力を誰も見ていない。感謝もされない。報われない。

そんな日々が積み重なった結果、「自分という存在」が見えなくなっていくのです。
「私は何のために生きているんだろう」
「母親じゃない私には、もう価値がないの?」
そんな虚無感が心を支配していきます。

● 家の中に「安心感」がないという現実

特に、夫との関係が冷え切っていたり、暴言・無関心・モラハラ的な態度がある場合、
家の中での人間関係が「安心できるもの」ではなくなります。

  • 夫が無視する

  • 怒鳴る

  • 何も手伝わず、文句ばかり言う

  • 妻を「母親」「家政婦」としか見ていない

そうなると、家の中にいるだけで気が休まらず、心が削られていきます。
**「家族なのに、なぜこんなに孤独なんだろう」**という深い苦しみが、日常を覆いはじめるのです。

● 恋愛相手=「唯一、自分を必要としてくれる存在」

こうして家庭内での自分の存在が空虚になり、評価も愛情も感じられなくなったとき、
外の世界で優しい言葉をかけてくれる存在に、心が揺れてしまうのは当然です。

「大丈夫?頑張りすぎてない?」
「君がいなきゃ、俺はダメだよ」

そんな言葉が、荒んだ心に染み込むように響く。

その瞬間、家では得られなかった“自分が生きていていい”という感覚を取り戻した気になるのです。
「この人といると、私は“人間”でいられる」——
そう思い込んでしまえば、家の中の現実に戻ることがますます苦しくなるのも無理はありません。

● 本当は、「家に帰りたい」と思っている

家出や不倫という形で家庭を離れてしまった女性の多くは、
心の奥底では「戻りたい」「やり直したい」という思いを抱えていることも少なくありません。

でも、その「家」が自分を苦しめた場所である限り、戻ることが怖い。
またあの空気に耐えられる自信がない。
「私がいなくても、家族はきっと平気で暮らしてる」——そうやって、自分に言い聞かせてしまう。

■ 11. 恋愛=「自分の存在価値の証明」になっている

「あなたが必要だよ」
「君じゃなきゃダメなんだ」

そんな言葉が、どうしようもなく心に沁みてしまう——
それは、恋愛がただの「感情」ではなく、“自分の存在価値そのもの”と結びついているからかもしれません。

とくに、自己肯定感が低く、「自分は何者なのか」「私はこの家庭で認められているのか」と揺らいでいる女性にとって、
恋愛は“生きている実感”を与えてくれる唯一の手段になることがあります。

● 「誰かに求められている自分」が唯一の証

家庭内では、母親という役割をこなして当たり前。
感謝もされず、尊重もされず、ただ“やるべきこと”に追われる日々。
そんな中で自分の存在価値が見えなくなっていくと、心の奥に虚しさが積もっていきます。

「私って、何のためにここにいるんだろう」
「誰かに“必要だ”って言ってほしい」

その渇望を満たすのが、恋愛のなかでしか味わえない“承認”です。

  • 好きだと言われる

  • 女性として扱われる

  • 存在そのものを褒められる

それはまるで、「あなたには価値があるよ」と世界から許されたような気持ちにさせてくれるのです。

● “認められなかった過去”を埋めるように

このような恋愛への依存の背景には、過去に十分な承認を受けられなかった経験がある場合も多く見られます。

  • 幼少期に親から愛されなかった

  • 褒められるより否定されて育った

  • ずっと「いい子」を演じてきた

そんな過去を持つ人ほど、大人になってからも「私は存在していていい」と実感できず、
他者の愛情や評価に依存することで、ようやく自分を保とうとします。

その結果、恋愛=自己肯定感の補填という構図が無意識に出来上がってしまい、
「愛されているうちは価値がある、でも嫌われたら終わり」と思い込んでしまうのです。

● “愛されている私”にしがみついてしまう

たとえその関係が不健全でも、
たとえ相手に裏切られていても、
「それでも私を求めてくれている」という感覚が、
自己肯定感の崩壊を食い止める最後の支えになっている。

だからこそ——

「この人に嫌われたら、私は何も残らない」
「この人がいなくなったら、私の価値が消えてしまう」

そう信じ込んでしまい、苦しくても離れられない。
自分の価値を「恋愛の継続」に賭けてしまっているのです。

● 本当の価値は「誰かに愛されているか」では決まらない

恋愛を通して、自分の存在価値を感じたいという気持ちは、とても人間らしいものです。
でも、“愛されていないと価値がない”という思い込みがある限り、
あなたは常に誰かにすがるようにしか生きられなくなってしまいます。

あなたの価値は、誰かの愛し方に左右されるものではありません。
母であろうと、妻であろうと、女性であろうと——
何者でなくても、あなたという存在そのものに、かけがえのない価値があります。

■ 9. 「子どもへの愛情」と「現実の重さ」の葛藤

子どもを愛していないわけじゃない。
むしろ、深く愛している。
だからこそ、心のどこかで罪悪感が押し寄せる——
それでも「母親として」ではなく、「女として」「自分として」生きたいという思いが勝ってしまう。
そんな揺れる感情のはざまにいる母親は少なくありません。

● 「愛している」気持ちと「逃げたい」感情は同時に存在する

多くの人が抱くイメージとは裏腹に、
母親であっても、100%全身全霊で子どもに尽くせるわけではありません。

  • 思い通りにならない育児

  • 誰からも感謝されない日常

  • パートナーの協力のなさや冷たさ

  • 経済的なプレッシャーや孤独感

こうした現実が重くのしかかり、心をすり減らしていくうちに、
「もう耐えられない」「逃げたい」という感情が生まれてしまうのは、決して特別なことではありません。

しかしその一方で、

「この子のことは愛している」
「私がいなくなったらどうなるのか」

という思いも、確かに胸の内にある。

子どもを愛しているからこそ、なおさら葛藤は深くなるのです。

● 愛があるのに離れてしまう矛盾

「子どもが大事」——その気持ちは本心です。
でも、現実のなかで母親として“機能する”には、心の余裕やサポートが必要です。

それが何もない状態で孤独に耐え続けていると、
「このままじゃ壊れてしまう」という限界がやってきます。

  • 自分が壊れるくらいなら、一度離れたい

  • 子どもを守るためにも、ここから逃げたい

  • 今の私には、この子を愛する余裕がない

こうして、愛情を持ったまま、離れてしまうという選択をしてしまう母親もいるのです。
それは“冷酷な選択”ではなく、むしろ「限界のサイン」であることもあります。

● 心の奥で「子どもに申し訳ない」と思い続けている

離れた後も、「本当は一緒にいたかった」「あの子を抱きしめたい」と思い続けている。
でも、自分のしたことの重さを直視するのが怖くて、

「今さら戻る資格なんてない」
「もう母親としては終わってしまった」

と、自分を遠ざけてしまう。

心の奥にあるのは、愛情と罪悪感が絡み合った、複雑な感情です。

だからこそ、
「自分が悪い」「最低な母親だ」と責め続けるのではなく、
「それほど追い詰められていた自分がいた」という事実にも目を向ける必要があります。

● 子どもへの愛情を「諦めの言い訳」に変えないために

子どもへの愛情が本物であるならば、
たとえすぐには戻れなくても、たとえ関係修復が難しくても、
「私はあなたを大切に思っている」ということは、
いつでも、どこからでも伝えられます。

  • 罪悪感に飲まれずに「向き合う」覚悟を持つこと

  • 子どもの未来のために「行動する」選択をすること

それが、「逃げるしかなかった自分」から「再び向き合う自分」へと変わるための一歩です。

■ 10. 浮気相手との関係にも「支配」がある場合

一見すると、不倫関係は「自由な恋愛」「お互いに惹かれ合った結果の関係」のように見えるかもしれません。
しかし実際には、そこにも“支配と依存”の構図が隠れていることが少なくありません。
特に、モラハラ気質や自己愛傾向を持つ既婚男性が浮気をしている場合、
相手との関係も“自分の都合のいいようにコントロールしたい”という欲望が根底にあります。

●「好き」という言葉で縛る支配

不倫をする男性は、最初こそ甘い言葉や優しさで女性を惹きつけます。
「君だけが特別だよ」「愛しているのは君だけだ」「いつか一緒になろう」
——そうした言葉が、女性の心を強く揺さぶります。

しかし、それが次第にこう変わっていくことがあります。

  • 「俺を信じていればいい」

  • 「余計なことは考えなくていい」

  • 「会えないのは仕方ない、家庭があるんだから」

つまり、女性の感情や希望を“言葉の愛”で抑え込みながら、自分のペースで関係をコントロールしていくのです。

●「不安」と「安心」を交互に与える心理操作

支配的な人は、「与える」と「奪う」を巧みに使い分けます。
急に冷たくなったかと思えば、優しい言葉をかけてくる。
「会えない」「今は無理」と距離を取る一方で、「会いたい」「寂しい」と言ってくる。

こうして、女性の感情を不安定にさせることで、自分から離れられないように仕向けるのです。
これを心理学では「トラウマ・ボンド(情緒的な共依存関係)」とも呼び、
支配する側が「支配されていることに気づかせない」ように仕掛ける巧妙な罠でもあります。

●「見捨てないでほしい」気持ちが、関係を続けさせる

不倫関係の中で、女性が自分の不安や疑念を伝えたとき、
「重い」「面倒」「お前がそういう態度を取るなら終わりだ」などと切り捨てる態度を取る男性もいます。

このとき女性は、「嫌われたくない」「離れたくない」という気持ちから自分の気持ちを抑え、
“相手に合わせる”ことが習慣化していきます。

これはまさに「支配されている状態」
愛されていると信じたいがゆえに、理不尽さや不平等に目をつぶり続けてしまうのです。

● 支配の本質は「対等ではない関係」

本当の愛とは、お互いを尊重し合い、自由な心で向き合える関係です。
しかし不倫関係の中にある“支配”は、常に力関係に偏りがあります。

  • 連絡頻度も会う頻度も相手の都合次第

  • 自分の感情や不安は聞き入れてもらえない

  • 相手の家庭や都合が最優先され、自分の存在は「二番目」

これが続く限り、自分の心がすり減っていく関係から抜け出すことは難しくなるのです。

■ まとめ 〜残された側の痛みは、誰にも見えにくい〜

母親が突然いなくなった――
何もわからないまま残された子どもは、「自分が悪かったのかも」と心を閉ざします。
父親は、裏切られた現実と、子どもを守らなければという責任の狭間で、必死に踏ん張るしかありません。

恋愛に走った母親には母親なりの事情があったのかもしれません。
でも、置いて行かれた側には、言葉にならない苦しみが確かにあるのです。

それでも前を向こうとしているあなたへ。
「あなたがいてくれてよかった」――
そう思ってくれる小さな命が、すぐそばにいます。

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