バレなければ大丈夫と思い込んでいる不倫夫の勘違いについて

「私は悪くない」と思ってる不倫夫に読ませたい──12の勘違い

  • 2025年07月16日
  • 2025年07月16日

不倫がバレても「自分は悪くない」と言い張る夫たち。
彼らはなぜ、あれほど堂々と罪の意識を回避しようとするのか――。

本記事では、そんな不倫夫たちが陥りがちな「10の勘違い」とその裏にある心理を、冷静かつ客観的に解き明かしていきます。
もし、あなたのパートナーが「開き直り型の加害者」になっているなら、このブログが現実を突きつける一歩になるかもしれません。

■1. 「夫婦関係はもう終わってた」は、言い訳に過ぎない

不倫した側がよく使う自己弁護のひとつが、「もう夫婦関係は終わっていた」という言葉です。たしかに関係が冷え切っていた家庭もあるかもしれませんが、それは他者との裏切りを正当化する理由にはなりません。本項では、この言い分がなぜ通用しないのかを、法的・倫理的な観点から客観的に解説していきます。

● 感情の冷却と法的な関係は別問題

たとえ「夫婦間に会話がない」「寝室が別」など、感情的なつながりが希薄になっていたとしても、
法律上は離婚届が提出されていない限り、婚姻関係は継続中です。
この状態で第三者と肉体関係を持つことは、明確な不貞行為とされ、慰謝料請求の対象になります。

● 「破綻していた」と主張しても証明責任は当事者にある

裁判では、「夫婦関係は破綻していた」という主張が慰謝料減額の材料になることもありますが、
それが認められるには明確な証拠(別居期間、家庭内別居の実態、離婚協議の有無など)が必要です。
「気持ちが冷めていた」や「会話がなかった」程度では、法的に破綻していたとは認められにくいのが実情です。

● 順序を無視した選択は、やはり“裏切り”

もし本当に夫婦関係が機能していなかったのだとしても、
まず取るべきだったのは、配偶者との対話や離婚協議など、誠実な手段による関係の清算です。
それをせずに不倫に走るのは、「関係が冷えていたから仕方ない」と問題から目を背けた結果でしかありません。

● 自己正当化は、被害者の苦しみを無視するもの

「終わっていた」という言い訳の裏には、往々にして罪悪感から逃れたい心理があります。
しかし、現実にはまだ家庭を続けるつもりだった配偶者が存在し、その心を裏切ったという事実は変わりません。
一方的な解釈による“終わった関係”という言い分は、被害者側の苦しみや尊厳を軽視する姿勢でもあります。

● 終わっていたのは「関係」ではなく「誠実さ」

「もう夫婦関係は終わっていた」と言えば、裏切りがなかったことになるわけではありません。
むしろ、関係が壊れていたからこそ、どう向き合うかが問われていたはず。
その過程を飛ばして安易に不倫に逃げたのであれば、問われるべきは配偶者との関係よりも、
自らの誠実さの欠如なのです。

■2. 「バレなければ問題ない」は、加害者の思考

不倫をする人の多くが、最初に抱くのがこの思考です。「バレなければ家庭は壊れない」「誰にも迷惑をかけていない」と、自分の行動を軽視し、問題を表面化させなければ“なかったこと”にできると信じ込んでしまうのです。しかしその考え方こそが、加害者としての根本的な認識の甘さであり、被害者を二重に傷つける原因になっています。

● 「バレなければいい」は、結果しか見ていない

この思考の背景には、行動そのものではなく、発覚するかどうかだけを問題視する姿勢があります。
つまり、「不倫をすること」自体が間違いなのではなく、「バレること」が問題だと捉えているのです。
これは非常に都合のよい解釈であり、倫理観や誠実さが完全に抜け落ちた思考です。

● 秘密はいつか、形を変えて漏れる

どれだけ慎重に行動していても、人は必ずどこかでミスをします。
スマホの通知、レシート、態度の変化、些細な違和感──
「バレない保証」など、どこにも存在しません。
それでも「自分はうまくやれる」と考えるのは、単なる過信でしかなく、
実際に発覚したときには、多くのものを失う現実が待っています。

● 「バレないうちは被害者はいない」という大きな錯覚

不倫が発覚していない段階でも、配偶者はどこかで「何かがおかしい」と感じ、
疑念や不安、孤独に悩まされている可能性があります。
加えて、不倫相手との関係に夢中になることで、家庭をおろそかにし、
精神的な距離や無関心によって、すでに“目に見えない傷”を与えていることもあります。

● 罪悪感の欠如は、関係を壊す起爆剤になる

「バレなければ問題ない」と本気で考える人には、
罪悪感が極めて薄いか、もしくは感じないように自分を守る防衛心理が働いている場合があります。
しかし、罪悪感のなさは“無害”ではなく、“鈍感な加害者”であることの証明です。
自覚のないまま、人を深く傷つけている可能性を忘れてはなりません。

● 「バレたら謝ればいい」は誠意の欠片もない

最初から「バレたら謝ろう」と考えている時点で、
相手の心にどれほどの裏切りを与えるかに無自覚であり、
誠実さも責任感も欠けています。
この考え方は、“謝罪”ではなく、“言い訳の準備”に過ぎないのです。

● 「バレなければ問題ない」は、加害者の都合にすぎない

不倫とは、バレるかどうかではなく、「裏切るかどうか」が本質です。
そして裏切りは、行動に移したその時点で、もう「問題」なのです。
「気づかれなければOK」という考えは、自分の欲望しか見えていない加害者的な思考であり、
その先には必ず、信頼の崩壊と大きな代償が待っています。

■3. 「気持ちの問題だから大したことない」は、現実を軽視した思考

不倫をする人の中には、「気持ちの問題だろ?」「たかが不倫でここまで大ごとにする必要ある?」といった言葉で、不倫を軽視しようとするケースがあります。しかし、それは加害者側の視点でしかありません。裏切られた側にとっては、心の傷は“見えないだけで深い”のです。このセクションでは、不倫を「気持ちだけの問題」と片付けることの危険性と誤解を、冷静に掘り下げていきます。

● 「感情の問題」と「法的な責任」は別物

「不倫は感情の問題」と主張しても、それが配偶者の法的権利を侵害している事実は変わりません。
婚姻関係には、法律上の「貞操義務」があり、これを破れば不法行為とみなされ、慰謝料請求の対象になります。
感情で済む話ではなく、法的責任が伴う現実的な問題なのです。

● 見えない傷ほど、深く残る

裏切られた人は、自己否定・喪失感・トラウマ・PTSDなど、深刻な精神的被害を抱えることがあります。
「たかが感情の問題」と考えるのは、傷ついた側の心に対する重大な無理解であり、二次被害を生みます。
目に見えないから軽い、とは決して言えません。

● 「気持ちが動いただけ」は、責任逃れの言葉

「肉体関係はない。だから大したことない」という人もいます。
ですが、配偶者以外に心を奪われ、嘘を重ね、家庭を疎かにした時点で、立派な裏切りです。
「心だけ」は、むしろ配偶者にとってもっと深く苦しい裏切りになることもあります。

● 被害者の「日常」を壊す力がある

「気持ちの問題」という言葉では済まされないほど、
不倫は被害者の生活に連鎖的な悪影響を与えます。
精神的ショック、食欲不振、不眠、仕事のパフォーマンス低下、家庭内の緊張…。
それらは“心”の問題ではなく、“人生”の問題です。

● 自分の「気持ち」を優先し、他者の「心」を破壊する矛盾

「気持ちが抑えられなかった」「好きになったものは仕方ない」といった理由は、
一見純粋でも、極めて自己中心的な発言です。
その気持ちを最優先した結果、誰かの信頼や尊厳が踏みにじられていることを無視してはいけません。

●「気持ちの問題」は、誰かの人生を壊しうる現実

不倫を「気持ちの問題」と軽く見るのは、自分の都合しか見ていない人間の理屈です。
心の問題だからこそ、人を深く傷つけ、関係性を根底から壊します。
そして、その代償は、感情ではなく法律と現実の責任で問われることになるのです。

■4. 妻に優しくしてるから”チャラ”は通用しない

「浮気はしてるけど、家ではちゃんと優しくしてるから問題ない」「バランスを取ってるつもり」という考え方は、まさに自己中心的な誤解です。どれだけ家庭内で“良き夫”を装っていても、裏で不貞行為をしている時点で、信頼は踏みにじられています。このセクションでは、「優しさ=免罪符」にならない理由を、客観的に解説します。

● 優しさの裏で裏切っているという二重構造

家庭内で妻に優しく接しながら、外では不倫をしている──
それは優しさの皮をかぶった裏切りです。
どれだけ笑顔で家事を手伝い、会話を増やし、気遣いを見せていても、
それが「罪悪感からくる帳尻合わせ」なら、むしろ誠実さを欠いた行為といえるでしょう。

● 「家庭に優しい」は、免責ではなく“隠れ蓑”

不倫をする夫の中には、「家庭では問題を起こしていない」と主張する人もいますが、
その“問題を起こしていない”状態こそが、妻を裏切るためのカモフラージュになっていることがあります。
これは、被害者に「まさかそんなことをする人じゃない」と思わせるための演技であり、
本質的には裏切りを隠すための優しさです。

● 裏切りと優しさは“相殺”できない

人を傷つけた事実は、別の場面でどれだけ良い行動をしても帳消しにはなりません。
不倫は「優しくすればチャラになる」ような点数制の問題ではなく、信頼の根幹を壊す行為です。
裏切りと優しさを天秤にかけたところで、壊された心の痛みは消えないのです。

● 本当の優しさとは「誠実さ」の上に成り立つ

たとえ言葉が穏やかで、態度が丁寧でも、
その裏で嘘が積み重なっていれば、その“優しさ”は偽物です。
本当の優しさとは、相手を思いやり、信頼を守ること。
裏切りと両立する優しさなど存在しないのです。

●「優しさ」は、裏切りのカバーにはならない

不倫をしていながら「妻に優しくしているから問題ない」と思っているなら、
それは罪悪感の誤魔化しであり、責任逃れの口実です。
誠実に向き合う気持ちがないまま与えられる優しさは、
受け取る側を二重に苦しめる“裏切りの延長線上”に過ぎません。

■5. 「本気じゃないから問題ない」は無責任の極み

「本気じゃない関係だから」「遊びだったから問題ない」という言い訳は、不倫を正当化しようとする典型的な自己弁護です。しかし、加害者がどう受け止めていようと、裏切られた側の傷の深さに“本気・遊び”の区別は関係ありません。このセクションでは、なぜ「本気じゃない」は免罪符にならないのか、倫理的・法的な観点から明確にしていきます。

● 裏切りは“本気かどうか”で判断されない

不倫の本質は、「婚姻関係にある者が配偶者以外の異性と不貞行為をすること」
そこに本気だったか、遊びだったかは関係ありません。
「本気じゃなかった」という言葉は、責任逃れにしかならず、
裏切られた配偶者の心の痛みを“軽いもの”として扱う、極めて無神経な発言です。

● 法律は「気持ち」ではなく「行為」を裁く

不倫に関する慰謝料請求の場面でも、
裁判所が見るのは“感情”よりも不貞行為という事実です。
たとえ「愛情はなかった」と主張しても、
配偶者以外と肉体関係を持った時点で共同不法行為とみなされ、法的責任は発生します。

● 本気でない関係こそ、より身勝手

「本気じゃないから軽い」「罪はない」という発想は、
相手にも配偶者にも無責任な態度です。
一時の快楽や気まぐれで誰かの信頼を壊し、人生を狂わせる可能性があるという自覚がない。
むしろ“本気じゃなかったのに不倫をした”ことこそ、計画性や誠意の欠如が浮き彫りになります。

● “遊び”だったことが、被害者の傷を深くする

裏切られた側にとっては、
「本気だった」と言われるよりも、「ただの遊びだった」と言われた方が侮辱と喪失感が強くなることがあります。
“心から愛されていたわけでもなかった”という事実は、
人としての尊厳すら踏みにじられたと感じさせる、非常に残酷な真実です。

● 「本気じゃないからセーフ」ではなく、「行為そのものがアウト」

「遊びだったから問題ない」という考えは、自分の加害性を軽く見積もる都合のいい幻想です。
不倫とは、「誰かを裏切った」という行為そのものであり、
そこに“軽さ”や“本気度”を持ち込むことは、責任から逃れるための言い訳に過ぎません。
裏切りには、本気でも遊びでも、等しく痛みが生まれているという現実を見つめるべきです。

■6. 「愛してしまったものは仕方ない」は免罪符にならない

不倫をする人の中には、「愛してしまったものは仕方ない」と、まるで恋に落ちたことがすべてを許す理由になるかのように語る人がいます。しかし、どれだけ強い感情があったとしても、それによって他人の人生を壊したことの責任は消えません。このセクションでは、「愛だから許される」という幻想が、いかに危うく、無責任な論理かを明らかにします。

● 「愛してしまった」ことは、選択の放棄ではない

たとえ誰かに心が傾いたとしても、その後どう行動するかは本人の選択です。
「気持ちは止められない」とよく言いますが、
そこから不貞行為に進むかどうかは、明確な意志と判断の結果。
“愛してしまったから仕方ない”は、自分で責任を放棄した言い訳にすぎません。

● 恋愛感情は、他人の権利を侵害する理由にはならない

既婚者が不倫をすれば、配偶者の信頼・尊厳・安定した生活を侵害することになります。
「好きだっただけ」と主張しても、被害者の苦しみは現実として存在し、
感情の強さや純粋さでは補えない、法的・道義的責任が問われるのです。

● 感情を理由に人を傷つけるのは、ただの自己中心的行動

「愛してたから、やめられなかった」という言葉は、
相手の人生や家族、配偶者の心情を一切考慮していない発言です。
それは“自分の気持ち”をすべてに優先させる、極めて自己中心的な態度です。
真実の愛は、誰かを踏みにじって成立するものではありません。

● 「愛だから不倫は仕方ない」という考えは社会的に通用しない

どれだけ本気だったとしても、不倫は社会的にも法的にも許されない関係です。
特に婚姻制度のもとでは、「貞操義務」を破れば慰謝料請求の対象になります。
感情ではなく、「行為」に対して、責任が生じるというのが法の原則です。

■7. 「悪いのは家庭を顧みなかった妻だ」という責任転嫁

不倫をした夫がよく使う言い訳に、「妻が冷たかったから」「家庭に居場所がなかった」「だから仕方なかった」というものがあります。一見もっともらしく聞こえるこの主張は、裏を返せば自分の非を棚に上げ、配偶者に責任をなすりつける逃げ口上にすぎません。このセクションでは、「家庭の不満」と「裏切りの正当化」が別物であることを明確にしていきます。

● 不満があったからといって、不貞が許されるわけではない

どんな夫婦でも、長く暮らしていれば不満やすれ違いが生じることはあります。
しかしそれは、浮気をしてもよい理由にはなりません。
「夫婦関係が冷えていた」「妻が自分に関心を持たなくなった」などの主張は、
浮気の“原因”ではあっても、“正当化”にはなり得ないのです。

● 「妻にも原因がある」は責任から逃れたい心理

不倫をした側が「妻のせいでこうなった」と言うとき、
その根底にあるのは、自分の行動に対する罪悪感から目を背けたい心理です。
問題の原因を外部に転嫁することで、自分を“加害者ではない”位置に置こうとする――
これは自己防衛であり、同時に責任回避の典型的な思考パターンです。

● 正しい対処は「話し合い」や「離婚協議」であるべきだった

仮に本当に家庭内で満たされない思いを抱えていたとしても、
取るべきだったのは、第三者との恋愛関係ではなく、配偶者との対話や改善の努力です。
それが難しい場合には、離婚という選択肢も含めて、誠実に問題と向き合う姿勢が求められ、
不倫は、それらを放棄した末の“逃げの選択”でしかありません。

● 配偶者は被害者であり、原因ではない

不倫の結果として傷つき、裏切られた側である妻は被害者です。
「もっと妻がこうしてくれていれば…」という主張は、
被害者に責任を押しつけ、さらなる傷を与える二次加害に等しい行為です。
どんな理由があろうと、不倫を選んだのは本人の意思と行動の結果であり、
その責任を他人に負わせることはできません。

● 不満の責任と不貞の責任は切り分けて考えるべき

家庭内に不満があったのなら、解決すべきだったのは「関係の修復」か「別離」であって、
第三者との恋愛関係ではありません。
「妻が悪かったから不倫した」という主張は、加害者が自らの行動に向き合えない弱さの表れです。
不倫という選択をした以上、自分の責任は自分で背負うべきなのです。

■8.「家庭を壊すつもりはなかった」は通用しない

不倫をした側がよく口にする言い訳の一つが、「家庭を壊すつもりはなかった」という言葉です。
しかしこれは、加害者の視点に立った非常に自己中心的な論理です。
実際に家庭が傷つき、配偶者が深く傷ついた事実がある以上、
“つもりはなかった”では、何の免責にもなりません。

● 「つもりがなかった」は、結果への責任を放棄する言葉

どれだけ「壊す気はなかった」と言い張っても、
結果として家庭が壊れたのなら、それがすべてです。
故意ではなかったとしても、不倫という行動が持つリスクは明らかであり、
「意図していなかった」という言葉は、行動の重みから逃れるための言い訳にすぎません。

● 不倫は“家庭に深刻な影響を与える”とわかっているはず

不倫が発覚すれば、配偶者との信頼関係は崩れ、
家庭内には深い亀裂が生まれます。
それは多くの人がよく知る事実であり、
「そんなことになるとは思わなかった」では、通用しません。
不倫を始めた時点で、家庭を壊すリスクを背負っていたという自覚が求められます。

● 被害者の「苦しみ」や「損失」は、意図とは無関係に存在する

不倫がもたらすのは、配偶者の精神的苦痛・信頼の喪失・家庭の崩壊など、
非常に大きなダメージです。
それは「壊すつもりがなかった」からといって軽減されるものではありません。
“傷つけた事実”は、“傷つける意図がなかった”という言葉で消えないのです。

● 法的にも「意図がなかった」は免罪にはならない

民事における慰謝料請求などでは、
不倫をした人が「壊す気はなかった」と主張しても、
不貞行為そのものが違法であり、結果に責任を問われるのが原則です。
つまり、「気持ちはなかった」では、法的にも道義的にも通用しないということです。

■ 壊す“つもり”より、壊した“現実”に目を向けるべき

人を傷つけた事実、家庭を壊した事実は、
たとえ意図していなかったとしても、その責任から逃れることはできません。
「家庭を壊すつもりはなかった」は、あまりにも無責任な開き直り。
本当に守りたかったなら、最初から裏切らないという選択をするべきだったのです。

■9. 「子どもには関係ない」は大きな誤解

不倫をした夫が、自らの行動を正当化するために使う言い訳のひとつが「子どもには関係ない」「バレなければ大丈夫」という言葉です。
しかしこれは、現実を見ようとしない非常に危険な考え方です。
家庭は、大人だけの関係で成り立っているわけではありません。そこには確実に、子どもの存在が影響を受けているのです。

● 子どもは“空気”と“違和感”を敏感に感じ取る

たとえ直接不倫のことを知らなくても、
子どもは親の態度の変化、空気の緊張、言葉の温度の違いなど、目に見えない違和感を鋭く察知します。
「パパとママの間に何かある」「家庭の雰囲気が前と違う」――
こうした無意識の不安は、子どもの心に長く影を落とします。

● 「バレていない」ではなく、「感じ取っている」と考えるべき

「不倫していることは子どもに隠してるから問題ない」という人もいますが、
それは大人の目線でしか見ていない判断です。
子どもは見ていないようで見ており、
聞いていないようで空気を読み取っています。
表面上は平静でも、心の奥で混乱や不信感を抱いている可能性は十分にあるのです。

● 子どもにとって「家庭の安定」は“生きる土台”

子どもにとって家庭は、安全基地であり、安心の象徴です。
その家庭の中で裏切りや争いが起きれば、
子どもは「自分が原因なんじゃないか」と自責の念を抱くこともあります。
「子どもには関係ない」と切り離すことは、
子どもの健全な成長や心の安定を脅かすリスクがあるのです。

● 離婚や家庭崩壊が与える“現実的なダメージ”

不倫が原因で夫婦関係が破綻し、離婚に至れば、
その後の生活環境は大きく変わります。
経済的負担、引っ越し、転校、面会交流など、
子どもは親の行動の結果をすべて背負うことになるのです。
にもかかわらず、「関係ない」と言えるのは、加害者側の身勝手な自己保身でしかありません。

● 「子どもには関係ない」は、大人の勝手な幻想

不倫は、大人だけの問題ではありません。
たとえ説明していなくても、子どもは確実にその影響を受けています。
見て見ぬふりをしているのは子どもではなく、加害者の方なのです。
子どもを守りたいと本気で思うなら、不倫などという裏切りを選ぶべきではなかった。
――それが、最も誠実な大人の責任ではないでしょうか。

■10. 「誰だって一度は過ちを犯す」は開き直り

不倫が発覚したあと、「まあ誰にでも間違いはあるよね」「完璧な人なんていないでしょ」と軽く済ませようとする人がいます。
一見、反省しているように聞こえるこの言葉ですが、実は責任から目を逸らす典型的な開き直りでもあります。

● 「人は誰でも間違える」ことと「意図的に裏切った」ことは違う

確かに、人間は完璧ではありません。誰しも失敗もすれば、誤った判断もするものです。
しかし、不倫は偶然のミスではなく、意図的に行われる“選択の結果”です。
「魔が差した」と言うには、あまりにも継続的で、計画的で、相手を裏切る行動です。
それを「誰でもあること」にすり替えるのは、自己弁護にすぎません。

● 「よくあること」と言えば、軽くなると勘違いしている

「芸能人もしてる」「会社でもよくある」と、不倫を“ありがちなこと”に位置づけることで、
罪悪感から逃れようとする心理が働いています。
しかし、誰がやっていようと、誰にとっても「裏切られること」は一生の傷になり得ます。
被害を受けた人の心には、“よくある話”では済まない現実が残るのです。

● 加害者の“軽さ”は、被害者の“重さ”を無視している

「一度の過ちだった」と言うたびに、
裏切られた側は「自分の苦しみもその程度のことなのか」と、心を踏みにじられます。
謝るのでもなく、償うのでもなく、ただ「仕方なかった」で済ませようとする姿勢に、
被害者の尊厳や感情は一切含まれていないのです。

● 開き直りが繰り返しを生む

「誰だって過ちはある」の言葉に逃げる人は、
その後も同じ過ちを繰り返す可能性が高くなります。
なぜなら、本気で向き合って反省しなければ、自分の行動を見直す理由がないからです。
「今回は許された」「言い訳が通じた」という成功体験が、より深い裏切りを招く土壌にもなるのです。

● 「一度の過ち」で済まされるのは、誠実な人だけ

本当に「過ち」だったと認めてもらえるのは、
そこに誠意と反省があり、被害者に寄り添う姿勢が見られたときだけです。
「みんなやってるから」「一度だけだから」と口にするその言葉は、
過ちではなく、“意図的な逃げ”の証拠かもしれません。

■11 “ここまで怒ること?”という軽視の心理

不倫が発覚した後、加害者であるはずの夫がこうつぶやくことがあります。
「たしかに悪かったけど、ここまで怒られること?」「もう謝ったのに、まだ責められるの?」
こうした発言には、被害者の感情を軽視する姿勢が透けて見えます。

● 裏切った側と裏切られた側の“温度差”

不倫した本人にとっては、関係が終わったことで「もう済んだこと」として処理されがちです。
しかし、裏切られた側にとっては、「その瞬間からすべてが壊れた」と感じるほどの衝撃。
この感情の温度差を理解できないことが、さらなるすれ違いや怒りの火種になります。

● “悪気はなかった”では済まされない

「そこまで深く考えてなかった」「軽い気持ちだった」という言い訳は、
裏切られた相手にとってはただの無責任な逃げです。
不倫は、相手を裏切るだけでなく、家族の信頼、尊厳、安心を根底から崩壊させる行為。
“悪気があったかどうか”ではなく、“どれだけ傷つけたか”が問われるのです。

● “謝ったからもういいでしょ”は加害者本位の論理

加害者側は「謝った=解決した」と思いがちですが、
被害者の心の傷が癒えるには時間と誠意ある行動の積み重ねが必要です。
形式的な謝罪だけで水に流せというのは、一方的な思い上がりでしかありません。

● 感情を“重く受け止める”ことが、初めての償い

「そこまで怒られるようなこと?」と感じた時こそ、
自分が相手にどれだけ深い痛みを与えたかを考えるべきです。
裏切られた人の怒りや悲しみを「面倒」「しつこい」と感じる前に、
“その感情に正面から向き合う覚悟”こそが、償いの第一歩となります。

● 「ここまで怒るのか?」ではなく「ここまで傷つけたのか?」と問うべき

不倫という行為は、信頼を壊し、相手の人生の根幹を揺るがす重大な裏切りです。
加害者側の「たいしたことない」という認識は、被害者の苦しみをさらに深める“二重の加害”につながります。
「ここまで怒ること?」ではなく、「自分がここまでの傷を与えてしまった」という事実に、真摯に向き合うことが求められるのです。

■12. 「そのうち許されるだろう」という楽観は危険

不倫をした夫の中には、「証拠が出なければ大丈夫」「バレても上手くごまかせば終わる」と、
まるでゲーム感覚のように、“逃げ切ること”を目的化している人がいます。
しかし、不倫は“ゴールのある勝負”ではなく、人の人生を傷つける“現実”です。

● 「バレなければ許される」は、道徳の崩壊

「バレてない=セーフ」と考えるのは、根本的な倫理観の欠如を示しています。
嘘を重ね、証拠を隠し、真実から逃げる姿勢は、
自分の快楽や保身を最優先した、極めて自己中心的な行動です。
バレなかったから問題ない、ではなく、**「やったこと自体が問題」**なのです。

● 「もう終わったことにしてほしい」は、加害者の都合

不倫が終わった途端、「関係は清算した」「だからもう責めないでほしい」と言う人もいます。
しかし、被害者にとっては裏切りの記憶は消えず、その傷は時間差で心を蝕んでいきます。
終わらせるタイミングや区切りを決められる立場ではないことを、加害者は自覚すべきです。

● 「訴えられなければOK」は、法の無知と傲慢さ

「慰謝料請求されなかった」「離婚されなかった」から“無傷で済んだ”と思い込むのも典型例。
ですが、実際には、

  • 内容証明が届く可能性

  • 調停・訴訟への移行

  • 職場や社会的信用への影響

など、逃げた先に待つリスクは多く存在します。
法的責任からも、精神的な代償からも“完全に逃げ切る”ことはできません。

● 「逃げ切る」ことで失う、もっと大切なもの

一時的に逃れられたように見えても、
失われるのは家族からの信頼、自分の誠実さ、そして人間としての信用です。
自分さえ無傷ならそれでいい――そんな生き方は、
結局は“孤立”と“後悔”を招く、非常にリスクの高い生き方です。

● 「逃げきる」ことは、解決ではなく“現実からの逃避”

不倫の問題において、“逃げきること”はゴールでも解決でもなく、単なる先送りです。
逃げた先にあるのは、より深刻なトラブルか、時間差で訪れる報いか、
あるいは一生引きずる後悔です。
本当に大切なのは「逃げきること」ではなく、「責任を果たすこと」だと気づくべきなのです。

■まとめ:あなたが“悪くない”なら、なぜ隠していたのか?

本当に胸を張って「正しい行動」だったのなら、なぜコソコソしていたのか?
なぜ罪悪感を抱いていたのか?
なぜバレたときに「ごめん」と謝ったのか?

それが、すべての答えです。

不倫は、感情ではなく行動の責任で問われるもの。
「私は悪くない」と言い張る前に、自分のしてきたことに真正面から向き合うべきでしょう。

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